兵 法 塾 武岡先生言行録

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武岡淳彦たけおかただひこ先生』言行録


武岡淳彦先生

1922年~2000年、高知県出身、陸軍士官学校卒業後中国大陸出征、中隊長として作戦に従事、貫通銃創三回、個人感状拝受。終戦時、陸軍士官学校区隊長。戦後、警察予備隊入隊。防衛庁要職歴任 、1978年、幹部候補生学校長(陸将)にて退官。大橋武夫先生の嘱望により、大橋先生逝去の後も「兵法経営塾」「兵法経営研究会」「国際孫子クラブ」「武岡戦略経営研究所」等を通して兵法・戦略の理念を全国に普及され、多くのトップマネジメント、ビジネスマンの厚い支持を受けられた。1992年、勲三等瑞宝章。「新釈・孫子」(PHP文庫、2000年)は先生の最後の御著書で究極の「兵法」です。


武岡淳彦先生言行録

  1. 信 条

    太平洋戦争開戦直前に陸軍士官学校を卒業し、その後三年半の間、中国大陸の最前線で歩兵連隊の下級幹部として血みどろの戦闘を体験した。その結果得たものは、「たとえ全滅の危機に瀕しても、憶することなく、百方手段を尽くして危機の打開に努力すれば、活路は必ず開ける」との信条であった。---「新釈 孫子」(PHP文庫2000年(H12)6月)より---
  2. 戦闘指導

    「勝つためには、どの障害を除いたらよいかを発想せよ。先に障害を考え、その範囲内で行動を考えるような考えでは絶対敵には勝てぬ。諸君と中隊長の頭の違いはこれだ」私が戦場で中隊の将兵に行なった指導は、常にこの考えであった。--[兵法を制する者は経営を制す」(PHP研究所1983年(S58)3月)より---
  3. 勝利への執念

    日本人は謙虚と弱気がないまぜになった気持が強く、「弱気人間」の民族性をもつといわれる。戦いでは黒を白といいくるめる強引さと、ブラフ(脅し)も辞さない強気型人間でなければアドバンテージ(先制の利)がとれない。謙虚さと弱気はふだんの個人的つきあいには向いていても、勝負の心には向かないのである。---[兵法を制する者は経営を制す」(PHP研究所1983年(S58)3月)より---
  4. 戦場統率

    戦場における統率は平時のそれに比べて、異状な特色がある。ふだんいくら立派な統率をしていても、弾がとんでくるところで、卑怯未練な行動、とまではゆかなくても、弾を避けるような動作あるいは勇敢といえないような行為がみられた場合は、部下は心の底からついてゆくのを躊躇するようになるものである。反面、弾がとんでくるところで、勇敢な態度を示せば、ふだん多少いいかげんなところがあっても、あの人はいざというときには頼りになると評価されて、及第点をつけて貰えるのである。このへんの戦場心理をうまく掴んで、指揮することが戦場統率のコツである。戦場の統率は単純でやりやすいが、しかし一たん信用を失えば、百万の言辞を費やしても名誉挽回は難しいのである。---「湘桂作戦体験記 」(湘桂作戦戦記出版会1979年(S54)7月)より---
  5. 戦場の躾

    こう暗くては地形偵察も徒に時間を空費するのみであると思ったので、思い切って中隊を連れて敵陣地の下まで前進することにした。重い装具を攻撃発起位置において身軽になった中隊は、一列縦隊で前進を開始した。周りは一面の田圃である。既に田植は終っていた。畔道に沿って前進していくと、それから下は、一段田が低くなっている畔の境目にやって来た。畔道をとび降りて引き続き目標に向って直進しようと思ったが、ふと思い直して畔道を右に回った。この頃の私は包囲精神が骨の隋まで浸透していたせいか、敵を見たら側背にまわるのが性癖にまでなっていたので、ここは右に迂回した方がよいと直感的に判断し、下の田圃に降りずに畔道を右に回ったのである。そうしたら、私の直ぐあとを続行していた指揮班長が、「夜ですから真直ぐ往ったらどうでしょうか」と一寸不満顔でささやいた。私はぶっきら棒に「これでいいよ」とかまわず進んだ。このなんでもない動作が、あとから考えると私の生命を救うことになったのである。というのは夜が明けてから、重機関銃の分隊長が分隊を連れ、中隊のいる台まで追及するために私が無意識に避けた下の田圃の畔道へ何気なくとび下りたが、その途端轟然と地雷が炸裂し、無惨にも壮烈な戦死を遂げてしまったのである。・・・人の運命はわからないものである。戦場にいると、しばしばこういうことに遭遇するので、誰もが運命論者になりやすい。しかし起きた事故は、その原因を物理的にわりきって考えれば、大抵の場合不用意・不注意に帰せられるべきものが多い。確かに不断と同じようなことをやっていたのに、そのときに限って事故にあったということになると、つい「寿命がなかった」、「運がなかった」ということになりがちである。それだけに、指揮官としてはあくまでも合理的に考え因果関係を物理的に捉えて教訓とし、あとあとの指揮や訓練に資すべきである。---「湘桂作戦体験記」(湘桂作戦戦記出版会1979年(S54)7月)より---

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