兵 法 塾 大橋先生言行録

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大橋武夫おおはしたけお先生』言行録


大橋武夫先生

1906年~1987年、愛知県蒲郡市出身、戦前は第12軍参謀・東部軍参謀・53軍参謀として活躍、終戦後激しい労働争議で倒産した企業を再建、昭和の経済波乱を独特の「兵法経営論」で育て上げられた。昭和55年より「兵法経営塾」を主宰・塾長、その著作・講演・指導は昭和の政界・財界をはじめ、第一線で活躍された多くの人に支持され、平成・21世紀の今日までその名著は版を重ねられています。「人は何によって動くのか」(PHPビジネスライブラリー1987年)は先生の最後の御執筆で古典の奥義・究極の「真理」が顕されています。


大橋武夫先生言行録

  1. 兵法は策ではない

    「兵法は策である」という誤解が生まれるのは、「孫子」、第一篇(始計)に「兵は詭道なり」とあり、また「戦国策」や「三十六計」などが色々な奇策を並べ立てているためであろうが、 「孫子」、第五篇(勢篇)に「戦いは、正を以て合し、奇を以て勝つ」とあり、正の努力の必要を説いているのを見落してはならない。また「戦わずして勝つ」ためには「戦ったら勝つ」だけの実力を持ち、それをいつでも効果的に発動できる準備を十分にしておかねばならない。このことに気づかず、ただあれこれと策をめぐらすことだけで勝てると思うから、策士策に溺れることになる。兵法はむしろ合理性を追求するものである。なんとなれば、仕事というものは、ただ努力さえすれば成功するというものではない。相手のある仕事、とくに組織を率いてこれに挑戦する場合には、ある種の法則すなわち兵法の理にかなった行動をとることが必要で、これを無視した努力はいかに熱心に推進しても「労多くして功少なし」の嘆を招くことになる。---「兵法経営塾 」(マネジメント社 1984年(S59)4月)より---
  2. 兵書を経営に利用するには

    兵書には「敵」という言葉がよく出て来る。これを「経営」に利用される方は、この「敵」を商売仇や競争相手と置き換えられることが多い。しかしこれでは兵書の一番よいところを逃がしてしまう恐れがある。どうか「敵」とは「困難な仕事」と思って頂きたい。---「兵法 孫子」(2005年/PHP文庫) (マネジメント社 1980年(S55)10月)より---
  3. 兵法の極意

    兵法の本来は、策ではない。情理をつくした統御と的確なる指揮(合理的な状況判断、勇気ある決心、不屈な実行力)と、かつ教えかつ戦う人間育成によって、組織の力を効果的に発揮させることにある。兵法の要は「組織を率いて勝負に勝つ」ことで、それは多数の人間の命を賭けた真剣勝負である。勝負には相手があり、相手は我を斃そうとする。また組織を率いるには、多数の人間の意志をコントロールしなくてはならないが、意思の自由の本能を有する人間はこれを忌避する。このように「組織を率いて勝負する」ことは、本質的に自分の思うようにならない人間の心を対象にして仕事をしなければならない難しいものである。人の心をつかむには、まずできるだけ合理的に進めて、その理性を納得させておいてから、その後、理論を超越して、その感情を爆発させねばならない。組織を率いて勝負する兵法のむずかしさはここにある。--「兵法経営塾 」(マネジメント社 1984年(S59)4月)より--
  4. 「平和」のもと

    各国庶民の交流が「平和」のもとである、この当時、(明治37年・日露戦争当時)アメリカ人は熱狂的に日本贔屓であった。あれを思えば、今日、密接な経済協力関係にあり、日米安保の友好を保持しているのは当然で、先年の太平洋戦争などは、どうしてああなったものか? むしろ理解に苦しむものがある。また大東亜戦争後、スターリンは満州に大軍を進めて「日露戦争の仇を討った」と呼号し、多くの日本人をシベリアに連行して苦しめたが、これもおかしい。日露戦争が日本とソ連の合作であることは、ソ連共産党史上でも明瞭であり、レーニンなどの下で活躍したスターリン青年は、自らの経験で承知しているはずである。国家関係の調整は首脳者間の折衝だけでは十分に行われない。政治家は時に心にもないことを言い、国家代表を意識した者の発言では、本心を伝えあうことは困難で、ともすれば誤解を生みやすい。庶民の直接の交流が必要だと、この頃とくに痛感する次第である。--「戦略と謀略 」(マネジメント社1978年(S53)11月)より--
  5. 逆境を順境に変える秘訣

    一、 積極的思考をする気力をもつこと。
    相撲で土俵ぎわに押し詰められた姿勢は、一般的にはピンチであるが、打っちゃりの機会を狙っている力士にはチャンスである。その違いは本人が「負けまい」と思っているのか、「勝ってやろう」と思っているのかの違いである。
    二、 なんでもよいから、一つ自信のある能力をもつこと。
    「友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ」石川啄木の詩である。こんな気持ちになることは我々にもよくある。学校時代は同級生がみな秀才に見え、会社に入れば同僚はみなかなわない有能者である。企業研修に出れば、みな錚々たる連中ばかりで、これでは課長はおろか係長にもなれそうもない。社長になって同業者の会合に出れば、どこの社長もみな颯爽としていて、資金ぐりや技術的行きづまりに苦しんでいるような顔はひとつもない、どう考えても自分の会社が生きのびる見込みなどない。啄木でなくても家へ引きこもりたくなるのが人情である。しかし、ここで一つ、心の置き所を変えて見直してみよう。すべての点で他人より劣っている自分でも、なにか一つくらいは人並み以上のところがありそうなものではないか・・・・。どんなことでもよい。自分に人並みなところが一つでもあったらこれを取り上げ、これを人並み以上に育て上げてみようではないか。それで人生は勝てる。
    三、 身を落すことに勇敢であること。
    定年退職で第二の人生を踏み出した人、会社の倒産などで今までの地位と収入を失った人などのその後の様子を見るに、その身の処し方に二通りある。横すべりをして、なんとか今までのレベルを下げないように焦る人と、思い切りよくどん底まで飛びおり、そこからやり直そうとする人とである。崖から落ちた場合、一番苦しいのは途中でなにかに噛り付き、踏みとどまって、よじ登ろうとしているときである。十メートルや三十メートルの崖なら、無理をしないで崖下まで滑り落ち、ゆっくり休み、体力と気力を回復してから、勢いをつけてやり直すことである。人生もこれと同様で、勇気をもってどん底まで落ち、原点に戻ってしっかり足もとを固めてから、勢いをつけて登り直した人々は、途中でもがいているかつての同僚よりも早く崖上に戻り、全勢を利用して前の地位と収入よりも、高い所に飛び上がっている。非常に勇気のいることであるが、昔から言われている「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」である。会社が倒産したり、斜陽化したりした場合には、社長はかつての盛時を思い出して悄然とするものであるが、こんなときには原点を思い出すことが肝心である。創業の時を考えるのである。金も、施設も、人もなかったときのことを考えれば、現在の状態がいかに恵まれているかがわかり、勇気が出る。原点に戻ってやり直すことである。
    四、 平素から、組織を離れ、肩書きをなくしたときの自分をよく認識していること。
    敗戦によって軍が崩壊し、裸でほうり出されたとき。敗戦はショックで、国の運命が心配であり、もちろん自分自身が食っていける見通しもなかった。地位と給料を奪われ、食っていく自信を失って、悄然として町を歩いていた私は、赤ん坊を背負って店頭で奮闘している八百屋の若いかみさんを見て、ハッ!とした。彼女が食っているのに自分が食えないはずはないではないか? と思い、なにか取り柄はないかと、自分の身体をしみじみと見まわしたら、ようやく二つ見付かった。それは身体の丈夫なことと、自動車の運転が出来ることである。日通のトラックの運転手、それが再起の第一歩となった。--「立身出世のすすめ」(高木書房1981年(S56)11月)・「ピンチはチャンス」(マネジメント社1986年(S61)7月)・「 決心十三則」(マネジメント社1987年(S62)1月)--より

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