国際孫子クラブ

Sun-Tzu Art of Warfare 

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〇 指揮官の責任

昭和二十年十月終戦に伴う残務整理が終わると、その足で直ぐ岐阜県下の遺族の家を訪ねて回った。軍刀を外し、階級章をとった軍服姿、その頃の流行語でいえば復員者風のスタイルで、遺族を訪問するのに心苦しかったが、これも中隊長の勤めと、戦地で作った遺族名簿を頼りに、一軒一軒尋ねて歩いた。たまたまこの六月一日の団山舗の戦闘で戦死した中隊本部の連絡係下士官の家を訪れたとき、中風で寝ていた七十三歳になる老父が、「隊長さん、倅は元気でしたか。いつ頃帰ってくるでしょうか」と言われた時は、まさかのこととて、一瞬わが耳を疑った。何の間違いか、この家に限って戦死公報も届いていないし、遺骨も渡されていないのである。家の中には七十を過ぎた老父母が病床にあり、弟さんと近所にいる親類の人が面倒をみているらしい。よほど、「近く帰ってきます。もう暫く待って下さい」と偽って早々に辞去しようかとも考えたが、中国にいる我が中隊も、いずれ遠からず帰ってくることだから、この際はっきり報せておいたらよいと思い、心を鬼にして、「誠に申し上げにくいことですが、お宅の御子息は、もう一年余も前に戦死されているのですよ」といった。その直後に旋風のように起きた遺族達の泣き喚く騒ぎの中で、私は氷のなかに閉じ込められたように堅くなり、身のおきどころをなくした。そうして、穴があれば入りたいような気持を、歯を喰いしばってじっと我慢しつつ、騒ぎの収まるのを待った。どれくらい時間が経ったか分らなかったが、泣きじゃくる涙声も次第にかすれ、近所にいる親類の人たちも駈け付けて顔を揃えたので静かに一礼して説明を始めた。私は厳しかった当時の模様を思い浮かべながら、まず中隊長としての指揮の至らなかったことを詫び、お悔やみを申し上げた。そのあと、この六月一日の戦闘の概要を説明した。それから私も後方にいて「進め進め」とやっていたのではない、その証拠として頸、右足、左胸の貫通銃創の痕を見て貰った。遺族の放心したような顔の中に座っていると、こうでもせずにはいられなかったのである・・・今思い出しても、これまでの人生でこんなにつらかったことはない。人生には、同じ困ったといってもさまざまな困り方がある。だが己の責任に関することは、たとえ心臓が破れる思いをしても、自らの心で突破しなければならない。---「湘桂作戦体験記」(湘桂作戦戦記出版会1979年(S54)7月)---「ビジネスマンの兵法ゼミナール」(にっかん書房1992年(H4)2月)より ---

 

© 2000.02.01 Tadahiko Takeoka 

〇 なぜ敗けたのか

創業は易く守成は難しということわざがある。日本陸軍史はこの言葉がそのままあてはまる。建軍から日露戦争までの四十年を、近代陸軍の創業とみれば、その後三十五年は守成だ。守成の末期の舵取りの誤りは、すでに守成の始まりの日露戦争後処理に、その芽がでていた。日本陸軍は十五年戦争に自ら進んでその幕を閉じたようにみられるが、その方向はすでに日露戦争後にきまっていたのである。日露戦争の目的は、ロシアの南下政策を阻止することであったが、それが成功し、さらにその結果南満州に願ってもない大きな獲物を得てみると、こんどはそえを手放すのが惜しくなった。中国マーケットへの進出に、欧州列強に一歩遅れていたアメリカが、日露戦争に勝たせてやったお礼にと、南満州鉄道の買収を要求し、日本がそれを蹴ると他の利権を手をかえ品をかえて要求してきたのをさらに蹴ったのが、日米抗争の発端であった。その結果アメリカと中国をむすびつけることになってしまった。国際関係でも、個人の間と同じように、恩恵を受けたらそれ相当のお礼をするのが当然だが、明治維新で世界と初めてつきあうようになった日本には、その常識がわからなかった。それは戦後の日本にもいえる。日本が現在のように経済大国になったのは、輸出商品で世界市場を席巻したからだ。それでは困るとアメリカやヨーロッパは日本の市場開放を要求してきているが、日本の対応はすっきりしない。そこで相手側は躍起となってたたみかけてくる。いまの日本は経済大国にしてくれたお礼に相応なことをしなければならないときである。それを商慣行と、日本製品の優秀さばかりいっていたら、やがてまた世界から独立する。かつては軍事的成功に酔って失敗の道へと踏み出したが、今度は経済的成功に酔って失敗への道に踏み出していないか、歴史をふり返って自己点検する時機がきている。日本政府に国際社会でつきあっていく常識が不足していたように、日本陸軍にも日本の国の中でどうあるべきかを考える常識がなかった。国も軍も企業も個人も、その常識がなければ仲間とのつきあいができない。国際政治とはやさしくいえばこんなことではないだろうか。つきあいができなければ仲間はずれとなり、やがては独立化し消えていくしかない。それを知ることが大切な教養の基礎ではないかと思う。アメリカの心理学者マズローは人間の欲求を五段階に分け、その第三段階を「帰属と愛情の欲求」としたが、仲間入りしたい、仲間はずれにならない欲求である。これは人間の本能であるとともに処世の哲理である。日本陸軍にこのような教養がなかったことが国家を敗戦の淵に陥れたことはまぎれもない事実だが、国際連盟の脱退に示されたように、国にも他国とつきあっていく常識がなかったことを忘れてはならない。ところでプロ野球を見ていてつくづく感ずることは、日本の野球は技(わざ)の野球、アメリカの野球は力の野球であることだ。力が技に勝ることは、助っ人と称する外人を各球団とも大金を出して、規定数の枠内で入れていることでわかる。日本陸軍の戦略・戦術は技のそれである。技とはわが実をもって敵の虚(スキ)を撃つ技術である。『孫子』はそれを虚実篇第六でのべる。しかし闘争の原理は優勝劣敗、力の強い方が勝つということだ。技は戦術の面では通用しても、戦略の面では通用しない。だから相手との力関係が大差のない戦争、日清戦争やロシアが十分に力を出さない段階で終った日露戦争では勝てた。しかし巨大戦力の相手と四つに組んだノモハンやアメリカとの戦いでは歯がたたなかった。そのような敵にはどうもがいても勝てないことを知らなかった原因は、日本陸軍の戦争研究がアカデミックでなかったからだ。このような技を重視する戦術を重くみるようになって以来、日本陸軍は物質戦力、兵器を軽視するようになった。だがランチェスターの法則では、弱者は一騎打ち型(局地・接近戦)の戦いをするか、武器効率(エクスチェンジレート)をあげる、つまり相手よりすぐれた武器をもって戦うしか方法はないことを教える。となれば国家の経済力、特に工業力が足らないならならば、資材を余り使わなくてもよい兵器の研究開発に努力すべきであった。日本人にはその能力は十二分にあるのだから、精神力の向上とともに、技術度の高い兵器研究の開発にとりくむべきでなかったか。ところが実情は考えられないぐらい「兵器資材」つまり「もの」に対して冷淡になってしまったのである。これも先の戦略戦術同様、戦争の研究がアカデミックでなかったからにほかならない。日本陸軍は終戦のとき、実に六百四十万人いた。しかしこれだけ巨大な組織でありながら、不思議なことに日本陸軍にはその管理の原則つまり組織論がない。一部参謀の専横な振舞や、関東軍の謀略、皇道派青年将校の部隊を使っての要人襲撃の暴挙などは、まともな組織論がなかったからだと言ってもいいすぎではない。アメリカが南北戦争のあと大工業国に成長していく過程で、多民族を擁する組織を、合理性、人間性、システム性、条件性、適応性、生産性の面から追及して組織論を確立し実地に活かした苦労を日本人は知らない。しかも日本人独特の阿吽(あうん)の呼吸や酒場のノミュニケイションによる情報交換や意思の疎通などに頼るだけでは、これからの産業構造の変化のなかで、組織論の不在をカバーしていけるものではない。日本陸軍の組織論不在は、組織は牙(きば)をむく、組織は目的から逸脱する、組織は統一行動をしないものである、などさまざまな欠陥をもつことを教訓として知ることができる。また日本陸軍のリーダーシップは、命令の絶対性を強調するあまり、愛の統率を忘れていた。陸軍に人間的統率がなかったのは、「義は山獄より重く、死は鴻毛(オオトリの羽、きわめて軽いもののたとえ)より軽し」の軍人勅論に基づくが、愛の統率の根源は生命の尊厳、人間尊重の思想である。徳川時代の死の美学を重んずる武士道を継承した日本陸軍にそれを求めるのは無理だったかもしれないが、ここにも現代のリーダーシップを考えるうえで、大きな教訓が残されている。日本陸軍を批判し罵倒するのはよい。だが日本近代史の骨格は、日本陸軍史であるといえるほどの高い比重を占めていたという厳然たる事実がある以上、これからの日本にとって参考とすべき多くの教訓を引き出すことができるのである。それを活かしてこそ過去は現代に役立つのだ。また歴史には絶縁がないのだから、戦後の企業や行政の組織と行動様式の点検と改善に示唆するところも少なしとはしないだろう。太平洋戦争の直前に陸軍士官学校を卒業し、日本陸軍の下級指揮官として太平洋戦争を戦った筆者は、日本陸軍に限りない愛着をもつと同時に、またその後の陸上自衛隊の勤務および退官後の兵法研究を通じて学んだ知識から、さまざまな批判をもつものである。

---「日本陸軍史百題」( 亜紀書房 1995年(H7)7月)より ---

 

© 2000.02.01 Tadahiko Takeoka 

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湘桂作戦体験記

1979年7月発行

写真・序文

第一、戦術開眼

第二、訓練精巧

第三、緒戦快勝

第四、戦場統率

第五、歩兵之華

第六、機動火力

第七、士気再興

第八、友軍相撃

第九、敵機跳梁

第十、衡陽会戦

第十一、油断大敵

第十二、奇襲成功

第十三、好敵再会

第十四、敵陣堅固

第十五、左翼掩護

第十六、突撃成功

第十七、大敵出現

第十八、歩哨無惨

第十九、接戦苛烈

第二十、胸部受傷

第二十一、感状拝受

あとがき・著者略歴

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ビジネスマンの兵法ゼミナール

1992年2月発行

はしがき

序章・兵書解説、孫子・三十六計、君主論・政略論、戦争論

第一章・戦略の考え方

第二章・人間のもつ共通心理を知る

第三章・状況をたしかめる

第四章・相手をとりこむ方法

第五章・かけひきのゼスチャー

第六章・相手陣営の気勢を削ぐ

第七章・したたかなサバイバル法

第八章・困ったときの打開策

第九章・効果的な組織活動のための統率法

第十章・厳しく自己管理する

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初級戦術の要諦

1972年10月発行

序・はしがきにかえて

1.戦勝の要諦

2.戦いの原則と攻防の要則の関係

3.集中の原則

4.奇襲の原則

5.国土地形の戦術的特性

6.独立師団の運用と行動

7.地域見積、情報見積、状況判断の関係

8.地域見積

9.情報見積

10.状況判断

11.攻勢作戦における方面隊の戦闘経過

12.機動方式

13.戦場撃滅

14.攻撃計画作成のための地域見積

15.緊要地形

16.接近経路

17.攻撃計画作成のための情報見積

18.攻撃計画の策定要領

19.攻撃目標

20.攻撃方向

21.攻撃時期

22.攻撃における戦闘力の配分

23.攻撃における統制及び調整

24.浮動状況における攻撃

25.遭遇戦

26.陣地攻撃

27.防御を行なう場合

28.進出掩護

29.陣地防御の変形形式

30.機動防御

31.防御計画作成のための地域見積

32.陣地に具備すべき地形上の要件

33.防御計画作成のための情報見積

34.防御構想の考え方

35.防御陣地の編成

36.防御地区の配当

37.戦闘陣地

38.対戦車防御

39.反斜面陣地

40.前進陣地

41.予備隊と予備陣地

42.逆襲

付録・戦術討議の1例

付録・戦術論文の書き方の1例

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方面隊運用序説

1976年9月発行

発刊の辞・陸将 髙品武彦

再刊の辞・陸戦学会会長 中俣壯一

はしがき

第1 大部隊運用の変遷

第2 作戦戦略の概念

第3 会戦の意義

第4 方面隊の機能と特性

第5 方面隊運用の鈍重性

第6 方面隊運用における兵站の地位と機能

第7 航空劣勢下における運用上の着意

第8 主動性確保の重要性

第9 攻防の選択

第10 情報見積の困難性

第11 決戦のための状況判断

第12 アグレッサーの戦略・戦術

第13 戦略理念

第14 戦勝の公算

第15 作戦目的と作戦目標

第16 作戦計画と作戦命令

結言

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日本陸軍史百題

1995年7月発行

まえがき

第一期 建軍から西南戦争まで

1 陸軍原型

2 創設障害

3 徴兵鎮台

4 階級縁起

5 職種機能

6 堅甲利兵

7 将校補充

8 編制指揮(1)

9 編制指揮(2)

10 編制指揮(3)

11 指揮実行

12 服制兵装

13 兵営生活

14 皇軍由来

15 偕行同心

16 西南戦争(1)

17 西南戦争(2)

18 靖国神社

19 代表史蹟

第二期 西南戦争から日露戦争まで

20 竹橋騒動

21 四将上秦

22 統帥独立

23 軍人勅諭

24 法皇副星

25 帝国主義

26 ドイツ軍制

27 ドイツ兵学

28 軍備強化

29 日清戦争(1)

30 日清戦争(2)

31 勝因管見

32 統帥不動

第三期 三国干渉から日露戦争まで

33 露国南下

34 三八小銃

35 臥薪嘗胆

36 機構整備

37 八甲田山

38 要塞海堡

39 亜肉欧食

40 北清事変

41 情報収集

42 対露戦略

43 明石謀略

44 大軍統帥

45 遼陽会戦

46 旅順攻城

47 難戦責任

48 反撃阻止

49 奉天会戦

50 人馬依存

51 戦勝素因

52 金鵄勲章

第四期 日露戦争後から昭和初期まで

53 満鮮警備

54 日本興隆

55 日米対立

56 陸軍劣化(1)

57 陸軍劣化(2)

58 国防方針

59 国民連帯

60 一次大戦

61 航空誕生

62 米国牽制

63 時流蒙昧

64 西伯出兵

65 軍機械化

66 山東出兵

67 陸大教育(1)

68 陸大教育(2)

69 教範体系

第五期 満州事変から太平洋戦争開戦まで

70 満州事変

71 対ソ防衛

72 兵器改良

73 航空強化

74 二二六事件

75 本格軍備

76 日中戦端

77 日中戦争(1)

78 日中戦争(2)

79 ノモンハン

80 三国同盟

81 対蒋無策

82 仏印進駐

83 大関特演

84 機密漏洩

85 勝算不問

86 和戦苦悩(1)

87 和戦苦悩(2)

88 進攻持久

第六期 太平洋戦争の開始から終戦・解軍まで

89 緒戦快勝

90 先行不明

91 攻防逆転

92 軍需緊迫

93 特攻玉砕

94 羊頭狗肉

95 戦力急減

96 獅子奮迅

97 収拾無想

98 戦力隔絶

99 終戦復員

100 遺留教訓

付録・付表

一、軍事学と日本陸軍

(1)メッケル陸軍大学校講師の貢献

(2)クラウゼヴィッツの兵学思想

(3)ランチェスターの法則

(4)孫子の兵法

二、兵器・装備の面から見た日本陸軍

三、陸軍大学校ほか諸学校の卒業者状況

四、陸軍の編制

(1)陸軍の平時編成の原型

(2)師団の編制

五、日本陸軍史年表

基礎知識

(1)軍歌と戦時歌謡

(2)軍用地図

(3)特務機関

(4)陸軍中野学校

(5)先陣訓

(6)日本陸軍と米陸軍

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兵法を制する者は経営を制す

1983年3月発行

序文・戦理始記

戦理の要諦

Ⅰ 基礎篇・「攻めの心」と戦理の構造

1 合理用兵は戦理の根本

2 目的は軸心、目標は手段

3 必勝の信念が生み出すもの

4 企業経営と競争の戦理

5 戦いの三要素

6 戦いの力学

7 企業競争と戦場力学

8 戦略と戦術の原理

Ⅱ 大戦理篇・危機戦略の兵法

1 優勝劣敗の原理

2 奇計と詐術の発想法

3 正・奇の按排が兵法の極意

Ⅲ 小戦理篇・リーダーの機略と用兵

1 小戦理概説

2 情勢認識の重要性

3 攻撃は最大の防御

4 先制主動の発想

5 局所優勢と弱者の戦法

6 背水の陣と常山の蛇勢

7 集中と分散を律する戦理

8 戦略の失敗は戦術で補えず

9 簡明と破棄の断行

資料篇・戦国武将の政略

 

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