武岡先生に初めてお会いしたのは、昭和五十七年五月十一日。 大橋武夫先生の兵法経営塾に初めて参加した日だった。大橋先生が、講義の終わりに質問を促されたのに対して、緊張のため上ずった九州訛りで質問をしたら、大橋先生は穏やかに懇切に答えられた。その始終を大橋先生の隣の席で細長い葉巻のようなタバコを燻らせながら、ニコニコと笑って見ておられたのが武岡先生であった。大橋先生は現伝承の孫子には、衍文、乱丁が多いとして天野博士の説を取られていた。また、孫武の時代は戦乱の民、鵜合の衆のため性悪説で統率したと主張された。武岡先生は、現伝承の孫子を使われたが、孫子の思想には人間主義が貫かれていると言われ、自らもまた安達将軍の愛の統率を実践されて来た。幼くして実戦の渦中に投ぜられ、鉄火の試練の中で悟られた、「戦いの理」を自らの言葉で語られたものが「兵法」そのものであった。 もっと、もっと沢山の事をお尋ねしたかった。小説の孫子⑦で戎右の項章に「易」についての質問が出されたが、諳んじていた六十四卦について、どうしても整理できなかった。「易」は、やはり占いである。しかし運命論ではない。易とは陰陽の変易、展開と言われる。過去、現在、未来という経過の中で、現在の自らの変化、可能性を自覚して未来を切り開こうとするものと思う。武岡先生の活路打開の信念は、「たとい全滅の危機に瀕しても臆することなく百方手段を尽して危機の打開に努めれば必ず開ける」である。百方手段を尽くすことが「奇」である。そして奇とは自らが主動的に変化創造することであり、創造された有形無形の新戦力は敵の「実」を「虚」と化してしまう。故に奇こそが「勝は為す可きなり」の道ではないかと思う。武岡先生、お約束通りまたお会いできることを楽しみにしております。
--戦略経営研究会・国際孫子クラブ発行「武岡先生を偲ぶ」(2000年7月25日)追悼文より--
|