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兵法塾は大橋先生・武岡先生直伝の兵法、戦略・戦術の奥義を紹介させていただきます。

主宰者コメントCONCEPT

主宰者コメント

『 書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。然らば聖人の意は、其れ見るべからざるか。』-- 易経・繋辞上 --

『 積年の鍛錬自得の心法も、既に古人の書にあり、自らの任にあらず。』-- 明治の天才剣客・内藤高治 --

『 汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か 』--日蓮大聖人・立正安国論 --

ありがとうございます。さて、このWEBサイトにどれほどの価値を見出して頂けるか分りませんが、サイト内の殆どのコンテンツは自らの才覚から出たものではな く、古典・兵書・戦史を基に大橋、武岡、両先生の御著書や直接賜った御指導、及び「兵法経営塾」「兵法経営研究会」「国際孫子クラブ」「三国志研究会」等を 通して一緒に学ばせて頂いた諸先輩方や大橋先生、武岡先生、ご両家のご遺族のお力をお借りして運営しております。大変深遠で高邁なテーマにもかかわらず、拙 速で行き届かぬ事ばかりで大橋・武岡、両先生のお名前を汚さぬように必死でございます。どうぞお気付きの点よろしくご指導を賜れば幸いでございます。

主宰者プロフィール

『一冊三百二十円の本が人生を変えた?』

当時十八歳。 高校一年生で、登校拒否、その後留年。落第生という境遇だった。 初めて突きつけられた屈辱と現実。二十段登ったつもりでも転げ落ちる時は 四十段もあった。どうしても避けられない厳しく暗い現実だった。その頃、倫理社会を教えておられた、三島彦介という先生が、学年の最初の授業で必ず武蔵の話 をされていた。淡々と話さ れるその教室で五輪書のことを知った。早速、図書室で探して読んだ。その後の授業で今度は孫子という本があることを話されたが、 図書室にはなかった。その年の夏休み(昭和五十年)熊本市内の書店で天野孫子を見つけた。武蔵が憧れた大の兵法とは、これだと思った。落第生の心を少し得意 にさせた。天野孫子の「あとがき」にあるように、自分も常に学生服のポケットに孫子を入れた。前後して読んだ「易」の中の四大凶、坎為水と孫子の水の形は情 容赦ない自然の理と徹底した現実主義を教えていると感じた。また、凶の中にも吉が潜んでいて、己の弱点さえも武器として戦うことができると信じ込んだ。 社 会人となって大橋先生の図解兵法を読んだ。そして、大橋先生の兵法経営塾に参加して、武岡先生から名刺を頂いた時、あっあの本を書いた人だと思った。実は図 解指揮学はまだ読んでいなかった。兵法を個人の処世の知恵としては学んだつもりだったが、戦略戦術には指揮統率が不可欠ということさえ意識していなかった。 それ以来、武岡先生には著書のみならず公私に渡り大変な恩恵を頂いている。武岡先生からは戦理戦略を、大橋先生からは統御統率を学んだと思う。 三島先生の 授業から既に二十年になり、書店でも孫子は広く膾炙されてしまったが、韓信が「此れ兵法に在り、ただ諸君察せざるのみ」と言ったように、孫子にはただの読書 の対象ではないことを宿命付けられている

----国際孫子クラブ・機関紙「孫子兵法」第8号(1996年4月)投稿ページより----

「奇」の道

武岡先生に初めてお会いしたのは、昭和五十七年五月十一日。大橋武夫先生の兵法経営塾に初めて参加した日だった。大橋先生が、講義の終わりに質問を促され たのに対して、緊張のため上ずった九州訛りで質問をしたら、大橋先生は穏やかに懇切に答えられた。その始終を大橋先生の隣の席で細長い葉巻のようなタバコを 燻らせながら、ニコニコと笑って見ておられたのが武岡先生であった。大橋先生は現伝承の孫子には、衍文、乱丁が多いとして天野博士の説を取られていた。また 、孫武の時代は戦乱の民、鵜合の衆のため性悪説で統率したと主張された。武岡先生は、現伝承の孫子を使われたが、孫子の思想には人間主義が貫かれていると言 われ、自らもまた安達将軍の愛の統率を実践されて来た。幼くして実戦の渦中に投ぜられ、鉄火の試練の中で悟られた、「戦いの理」を自らの言葉で語られたもの が「兵法」そのものであった。 もっと、もっと沢山の事をお尋ねしたかった。小説の孫子Fで戎右の項章に「易」についての質問が出されたが、諳んじていた六 十四卦について、どうしても整理できなかった。「易」は、やはり占いである。しかし運命論ではない。易とは陰陽の変易、展開と言われる。過去、現在、未来と いう経過の中で、現在の自らの変化、可能性を自覚して未来を切り開こうとするものと思う。武岡先生の活路打開の信念は、「たとい全滅の危機に瀕しても臆する ことなく百方手段を尽して危機の打開に努めれば必ず開ける」である。百方手段を尽くすことが「奇」である。そして奇とは自らが主動的に変化創造することであ り、創造された有形無形の新戦力は敵の「実」を「虚」と化してしまう。故に奇こそが「勝は為す可きなり」の道ではないかと思う。武岡先生、お約束通りまたお 会いできることを楽しみにしております。

--戦略経営研究会・国際孫子クラブ発行「武岡先生を偲ぶ」(2000年7月25日)追悼文より--

兵法は詭道ではない

孫子の始計で有名な言葉で「兵は詭道なり」とあるが、始計の本来の思想と「詭」の思想、理念は全く異なる。孫子(兵法)を騙す事と思い込んで、やたら偽り、 虚偽に奔り、本来の「利」を失って墓穴を掘って自滅する事例は21世紀の今日に至っても尽きない。ことに兵法を軍事以外の経営や処世に活用することを吹聴す る者の中には、やたら欺瞞に埋没して「兵法」「戦略」の名聞のみを誇示して無責任に終始している者も少なくない。「正奇」「虚実」の理を理解した者でなけれ ば「詭」を運用することは不可能である。所詮、「「詭」も「奇」も虚実を生み出すための方便に過ぎず、太極の虚実を捉えきれないものは「詭」の生み出す「虚 」を自らの「実」で撃つことはできない。 「実」を充たした者が「虚」を装うことはあっても、自らの虚を「実」に装うが如きは本来の兵法ではない。真実の「 利」を覚らぬ者は戦いの利を収めることもできない。現伝承の「孫子」の五事、七計の理念に「詭」はどのように反映されると言うのか。魏の武帝・曹操の時代に 既に孫武の兵法は錯簡しており、奸雄・曹操が自らの功績、生き様を「詭道」の文字を用いて誇示、正当化したにすぎない。魏武・曹操の実力、功績を否定するこ とはできないが、今日、曹操が注釈したものが最古の孫武の兵書であるとして、曹操を孫武の兵法の最高の具現者とすることはできない。当然、ただ曹操より古い というだけで衆寡と攻守の理念を錯乱した「銀スズメ竹簡」の言うことなどを聞いていたらとんでもないことになる。「孫子の兵法」は偽り欺くことと訳した世界 中の数千年来の孫先生のグレートブックは何なのか? 21世紀・平成20年の今日、やたら「偽り」「装う」世の中で、馬脚を現す兵法経営・経営戦略の多いこ とか。かつて大橋先生・武岡先生の門下でその権威を借りた一部の奸雄達の中で、なるほど木の葉を黄金に変えて見せた方々も少なくないが、尻尾を濡らし、兵法 の名を汚し恩を仇と変え、ご遺族、同門、同志を辱め、心配をかけた人も おられるのではなかろうか。もちろん事業に浮き沈みはあり、人生にも栄枯盛衰 、順と 逆があるとは思うが 、負け戦の後に「詭道・偽り」を暴かれるが如き「兵法経営」は大橋先生、武岡先生の兵法には微塵も存在しない。むしろ、「君主論」など の極端に聞こえる言葉を中々 受入れ難い「薬」のようにして慎重に学ばれ、従業員と一緒にに試行錯誤して波乱を乗り切っておられる社長さんたちは、決して「 太極の利」を失われることなく、その名は秘かではあるが、その道は高く徳は後世に讃えられるはずである。 孫子の始計篇、「兵は國の大事、死生の地、存亡の 道なり。」と「兵は詭道なり」の思想は次元の違うテーマであり、「兵は詭道なり」は孫子の兵法思想を貫くものではない。このことは既に天野鎮雄博士の孫子研 究で主張されている。魏武帝・曹操以来、二千年の風雪を耐えた現伝承の「孫子」ではあるが、残念ながら錯簡・衍文・衍字のままでは孫武の本来の思想を捉える ことは難しい。まして「詭道」を用いて経済活動、商いの道を照らすが如き処世は「孫子」そのものを貶め冒?することに他ならない。----大橋先生は、「兵書に は「敵」という言葉がよく出て来る。これを「経営」に利用される方は、この「敵」を商売仇や競争相手と置き換えられることが多い。しかしこれでは兵書の一番 よいところを逃がしてしまう恐れがある。どうか「敵」とは「困難な仕事」と、思って頂きたい」と戒められている。しかし今日の孫子は「顧客」 までも「敵」 とみなし、平気で「詭」を施してしまうような風潮になっているのではなかろうか。かつて周に滅ぼされた殷(商)の民は土地(農)を失い、生きる伝として「物 」を仕入れて売る(商い)を生業とした、故にある所で楯を売り、ある所では矛を売らねばならない、 やがて矛盾という「嘘」をつかざるを得なくなる、やがて 商の民の「嘘」は罪を問われなくなり、「嘘」「偽り 」は商いにおいては大切な術となってしまったという。「生きる」という「業」はそのようなものかもしれ ない。さればこそ商いの世界においては得がたい「信」 がことさら尊ばれるのかも知れない。

※ このWEBサイトは、amazon.co.jp のアソシエイトプログラムで、大橋武夫先生・武岡淳彦先生の著された「兵法」「戦略・戦術」の奥義をご紹介させていただきます。